三歩進んで二歩下がる

日々感じた事の言葉日記です。

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ギブアンドテイク

「人は与えられるものを過小評価し、自ら与えようとするものを過大評価する」


ある男優さんが、「ギブアンドテイクなんて言っているうちはあまちゃん・・」という具合の話をしており、なるほどなぁとうなずいたことがあります。

与えられること、与えることを計算しているうちは、何もできやしないのさぁということなのでしょう。


まあ、誰しもそうだと思うのですが・・・人は他人の中身を知り得ません。

ですから、自分が人に何かしてあげるんだ(ているんだ)!という事を知ってはいても、人が大切な思いを抱き自分に何かをしてくれようとする(している)、そんな優しい心をきちんと理解することはできないのです。

自分が人の好意に対して不感症であるか?なんてことさえ自覚がないのであれば、自分という一己の人間は他人の行為をいかに過小評価しているのだろう?と恐ろしくもなるわけです。

そういうことを棚に上げておいて、自分のしている行為だけは須く評価していただきたい・・そんなわがままな生き物が人間であるのです。


ということは・・自意識の強い僕のような人間が、ギブアンドテイクだろうよ!などと言っておれば、とたんに社会的破綻を迎えるのは目に見えているわけであります。

つまり、自分が受け取れずにいる思いやりを相手分に足してあげ、自分の受け取ってもらえぬ思いやりを自分分からひいてみないと、どうにもフェアにならないわけです。ですから、自分対他人の比は7:3?いやいや9:1くらいに持っていかなければ!?と思う次第です。

それでも、何やらお怒りを買ったりするといこともあるわけで、限りなく10:0に近い?いや、そもそもギブアンドテイク!?などといったちゃぶ台は、ひっくり返してしまわなければならないのでしょう。

そのように賢く考えてはいても、いざという時になかなか実現できるわけではなく、また、残念なことに生身の自分という人間は、社会の中でそれほど器用に振舞えるほどのものを持ち合わせません。

日々の精進、反省の積み重ね、そうしたよい年の取り方をしてゆく事が大事なのでありましょう。


思いもよらぬ人の言動に出くわすと、冷静さを途端に失ってしまい、醜くも人を過小評価する自分が、ひょっこりと現れます。

人の優しさに気づけぬような、人の心遣いに感謝できぬような、人の思いやりに応える事のできぬような、悲しい人間になり下がってしまう自分に遭遇するのです。

最初から、「人は与えられるものを過小評価し、自ら与えようとするものを過大評価する」という事実を知っているならば、なんて勿体ない事をしているのかと気づくべきことであるのですが・・。


自分と、他人は、平等ではないのです。だから、ギブアンドテイクなのだ!といった、いわゆる既成概念のちゃぶだいは、ひっくり返してしまった方が良いのでしょう。

自分が、良いことをした日があれば、それを僕は自分の誇りとし、悪いことをしたと思うのであれば、それを明日の糧にしようと考えております。

man for others」の件でも似たような事を話しましたが、自分が生きて行く限りにおいて賽の目は他人にはなくて、どうしても自分にあり続けるわけであり、それが人の高尚さでもあるのだと思います。

そう思えばこの世の中を寂しく思わずに済みますし、自分が前に進んでいけそうな気持も湧いてくるわけです。

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料理を美味しくするのは

「料理を美味しくするのは、熟成された酒と、君の笑顔」


食の喜びというのはかけがえないものだと思っています。

よく運動した後のご飯というのは格別のおいしさですし、アメリカ帰りの日本食というのも涙が出るほどのおいしさです。まさに食の喜びとはそんなところでしょうか。

ただ、もう少し踏み込んでみると・・一度一度の食事での、途中と、それから最後のスパイスとなるものは、酒と笑顔かと思います。

特に人の笑顔を見ながら食べるご飯というものは、それが感動的であればあるほど特別な一体感を感じさせるものです。ですから、おいしいものを一人で食べるなんてことは、勿体なくてできないのです。

自分の20代は、黙々と一人で食事をする事が多かったように思います。最近も、人の顔を見て食事をするという時間がなかなかとれず、少しストレスでもあります。

昼はコンビニ弁当を買ってくることが多いし、夜も良くて松屋ですし・・・。

なので土日は出かけて人の笑顔と一緒においしいものをモリモリ食べ・・「おいしい」を連発したいものです。これで二度おいしいわけですから。

そして楽しい会話を横に添えることで、胃も心もきっと満足するのでしょう。


僕はひとりで晩酌をする事が多いのですが、うまい酒を飲むときはたいていお酒に話しかけてます(笑)

「おまえ~うんまいなぁ~」

長い時間をかけて熟成させられてきた酒への感謝の気持ちであります。

「どうだ!うんまいだろお」

酒がそうやって言ってくれているような気がして、微笑んでしまうわけです。


日本という国は、幸せなことに食べるものが有り余っているような飽食国家です。しかし、それが故に食べる事の喜びを噛み締められない事が多くあるような気がします。

あくせくと働き、食事の時間をいかに短時間で済ませるかを考えている自分に気づきます。ですから、ゆっくりと語り合いながら、笑いあいながら贅沢な食の時間を過ごすことに憧れるのです。

いつだってそうなのですが・・食事は下を向きながら食べたくはないのです。
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ユメクイ

ユメクイ 作詩:愛 作曲:愛

僕は今夢旅の中
あの星の島までも飛んでゆける
手のりウタうたう僕のユメクイ
君のそばにも辿り着ける

最初に描いた夢を
思い出せなくなったのは
大人になったから?
右か左かでいつまでも迷って
太陽が反転するまでしゃべりこんだ

一つだけポケットに入れてきたもの
おっきなこの愛を持って

僕は今夢旅の中
あの星の島までも飛んでゆける
手のりウタうたう僕のユメクイ
君のそばにも辿り着ける

カラフルな靄(もや)に心を奪われ
ちょっとしたことにつまづいた
すりむいたとこに君がくれたのは
はずかしいくらいの
可愛らしいばんそうこう

叶えるたびに食いつくすユメクイ
叶えるたびにまた夢を見る
いくつになっても

僕は今夢旅の中
寄り道してプレゼントを見つける
手ノリうたうたう僕のユメクイ
描いた未来に君がいつもいる

僕は今夢旅の中
あの星の島までも飛んでゆける
手のりウタうたう僕のユメクイ
君のそばにも辿り着ける

君のそばでずっと夢を見る



大塚愛主演「TOKYO FRIENDS」の主題歌に使われたのがユメクイです。
http://mora.jp/package/80307944/AVCD-31022/

この映画自身に関しては、あまり出来の良い映画とは思っておりません。しかし、この映画に登場する、若く苦い日々、そして背景のアメリカのダウンタウンの町並みというものが、自分のシカゴ時代にダブるところがあり、この歌には少なからぬ共感を覚えます。

昨年度、僕は弁理士試験に挑戦したのですが、残念ながら二次試験落ちを経験することとなりました。できが良いとは思っていませんでしたが、正直なところで言えば自分が落ちるとは考えておらず、それを知った時の落胆はひどいものでした。

思いが大きければ大きいほど、それが叶えられなかった時の反動は大きいものです。物理学では作用反作用の法則などといいますがね。

しかし、どんなに落ち込んだとしても、人間は次の希望と夢に向けて立ち上がるものです。それが動物には叶わぬ、人間の美学ではなかろうかと思うのです。

このユメクイという歌は、実にシンプルな歌です。ですから、普段であればこの歌から強い何かを僕自身が感じる事はなかったかもしれません。

ですが、あの落胆を受けていた時の自分にとっては、この歌が眩しいほどの純粋さで心に響き、そして自分を勇気づけさせてくれたのです。今までもずっと、立ちあがって来たぢゃないかと・・。

思い返してみればここまでの道のり、自分の未来を切り開き、挑戦を続けてきたんだよなと思っております。まさか、自分がこのように生きていくとは、昔の自分は想像していなかったわけで・・・”ユメクイ”が僕の中に登場していなければ、何一つ達成し得なかったのかもしれません。
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余裕

人の理不尽さには腹を立てる自分ではありますが、自分の理不尽さには鈍感であります。特に、自分に余裕がないことを言い訳にして、自分の傍若無人な言動を慎めない事には、反省の限りであります。

そうなる前に・・・気持ち一個分の優しさと、混じりけのない一回分の笑顔をポケットに詰め込んでおかなければと思っております。

昨日は、高校時代の部活仲間と久しぶりに飲んでおりました。そのうちの一人が結婚をするそうなのですが、良い余裕を持っている感じが受け取られ、自分も見習わねばいけないなぁと思った次第であります。



余裕

お腹に余裕がない時、
僕は何でもかんでも先を急いでしまって失敗をする事が多かったりする。

体に余裕がない時、
僕は人の怠惰な行動に嫌気を感じてしまうような人間だ。

頭に余裕がない時、
僕は大切な何かをどこかに放置してしまい、悲しい事にそれを忘れてしまう事がある。

心に余裕がない時、
僕は人の気持ちを綺麗に汲み取れるほど、素敵な構造を持っていない事に気づく。

必死で生きていると、時々、人は孤独に陥る。
自分と他人とを区別する、境界線の黄色いテープが目の前に張られてゆく。
その境界線が色濃くなって、はっきり見えてきてしまうようだと、
たちどころに他人の姿が視角から消えてしまう。
考えれば考えるほどに、自分を理解する一方で、僕は周りの人から遠ざかってゆく。

だから余裕が必要なのだ。
どんな時にでも、
気持ち一個分の優しさと、混じりけのない一回分の笑顔を、
僕はポケットに詰め込んでおきたい。

余裕がない時に、ポケットからそれを取り出してみれば、
自分に足りていない力が心の底から沸いてくるだろう。

誰かと喧嘩をした時に、ポケットからそれを取り出してみれば、
相手の弱さに対して寛容な気持ちにもなれるだろう。

大人になるってのはきっと…
幸せに生きるってのはきっと…
そんな予備の燃料を、洋服のポケットに蓄えていくような事だよ。

ryo
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man for others

「人のための人であれ」

高校時代の校訓であります。
当時、この言葉を体に沁み込ませて理解するということはとても難しいことでありました。

十代の自分にとって、言葉の持つ尊大さが実に歯がゆく、自分の体に融和しなかったことを覚えております。

しかし、自分が何かを始めようとするとき、いつもこの言葉が自分の体に纏わりつき、何かを語りかけるのでした。そんな気がかりなこの言葉と共に、自分は良くも悪くもここまで歩んできたのだと思います。

いろいろな事を勉強し、いろいろな人に出会い、いろいろと悩み・・・そのつど、この言葉は、自分の心で生きているかのように、いろいろな顔を見せるのでした。


これまで、自分のための努力というものを随分と続けてきたような気がします。しかし、自分のための努力とは一体何なのか?と自問した時、あまり素敵な回答を得られる気がしません。

「一世の智勇を推倒し、万古の心胸を開拓す」

古典にある言葉です。

人間死んでしまえば、知恵や勇気も一緒に消えてしまうものです。そんなものを大事にすることにどれほどの意味がありましょう?一人の人間の、智勇というものはそんな程度のものです。これほど世界が近くなってしまった現代においては尚更。

人の心に残る事、そして歴史の遺伝子の中に自分を配列させていくことが、人の価値でしょうし、生甲斐なのかもしれません。大そうな事でなくとも・・・最愛の人の心に自分が残ること、最愛の輪に意志を伝えてゆくことは、自分が一人勝手に賢くなっていくこととは比較にならないほどの価値なのだと思います。

努力をするのも同じであり、自分のためにどれほど努力しても空しく、価値は見いだせないでしょう。人のために努力してこそ、初めて自分の価値が湧き出てくるものです。人のためというよりも、努力は人のためにしてこそ、その遣り甲斐があるものです。

自分のために努力していると自負すればするほど、自分のイメージする結果とのズレに心が悲鳴をあげます。時に、心がそのまま歪んでいくこともありましょう。


そこで、もう一度あの言葉を振り返るのです。

「人のための人であれ」というのは、単に、人のために努力しろということではないように思います。何故ならば、人のために努力するのは、人が生き、喜びを感じるそもそもの根源的理由であって、生きる目標ではないのですから。

ただ、人のために努力しても、それがなかなか評価されなかったり、逆に誤解されてしまったり、嫉妬されてしまったり、世界はそんなふうに自分の思い通りにゆかないことばかりです。自分が人のために努力をしていると思えば思うほどに、そのギャップが歯がゆく、腹立たしいものにもなります。何故自分の誠意が分かってもらえないのだろうか?・・・と。

こうした中で、どれほどこの言葉と自分自身が向き合えるのか?
自分という人間が、人間社会や最愛の家族における、ジグソーパズルのワンピースをどのように果たすのか?

このあたりが、「人のための人であれ」の云わんとすることなのではないか・・と未熟な私はそう思うのです。

「人のための人」であったかどうかは、所詮自分の知る由のないものであります。「人のための人であれ」とは、つまり人(他人)のためにある(他人目線の)言葉ではなく、自分目線の言葉・・・

人のためと言いながらも、人をコントロールしようとしている自分を自省し・・・自分自身をきちんとコントロールするための姿勢、これが私の考える”man for others”なのかと思うのです。


最近、仕事に忙殺されており、どうも自分の心を思うようにコントロールできなくなっていることに気付きます。疲れていると、余裕がなくなり、普段は思わなくてもよい、人への嫉妬だとかといった恥ずかしい感情がこみあげてきたりもします。

そして、気付かないところで言葉を乱暴に使っていたりもしているのでしょう。そんな自分への原点回帰の言葉日記を綴っていこうかと思います。
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