三歩進んで二歩下がる

日々感じた事の言葉日記です。

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人のせいにして

「人のせいにして生まれるものは何もない

弱さと無力は違う」


随分と世知辛い師走の風であります。
不景気の波が襲ってきて、世の中が飲み込まれそうになっております。

来年はどんな年になるのでしょうか。

経済の話を少し・・そして、先ほど見た映画フラガールについて少し・・。


世間を騒がせている派遣切りでありますが、この派遣の問題はどこにあるのでしょうか?
改正労働法によって、製造業にも派遣社員を認めたという単純な話にあるのでしょうか?

それが本質ではない事を証明するように、
正社員切りが最近のニュースを騒がせるようになっております。

派遣切りは確かに問題でありますが、さらに重大な欠陥が、
日本の経済システムに潜んでいるということです。

それは、小泉と竹中が日本のセーフティーネットを破壊していったことにあるわけです。
彼らが主導した小さな政府化がこのような歪みに脆い日本経済を作り上げたということです。

一般的に、経済政策といえば、財政政策と金融政策があるわけですが、
今の政治は財政政策を無視しております。アメリカを追随した結果、
あらゆるものを規制緩和し、小さな政府化という財政政策の無視を決め込んでいるのです。

竹中というアメリカの手先が、それが善であると吠えまくっていたわけです。

しかし、いくら金融政策を推し進め、日銀が金利を調整したり、
企業のコマーシャルペーパー(社債)を買い上げたところで、無力ではありませんか。

有効需要を作り、雇用を創出するという、ケインズの経済学でどうして立ち戻らないのか?
不思議でなりません。銀行の融資を政府が保証したところで、
返ってこないお金を商業銀行が貸すはずがないのです。

順番としては、まず、企業の設備投資が期待できるような、
また、即効性の高い建築・土木のような部門にお金を流すことです。
次に、太陽電池を始めとした、次世代技術の生産に対する補助金制度を充実させること。

政府は、消費税の増税議論をしているようですが、
馬鹿が揃いも揃って何を議論しているのでしょう?
定額給付などを議論するくらいなら、10兆円をねん出して、
消費税を時限的にでも0%にすればいい。
それがどれほどの経済効果に値するか試算すべきです。

とにもかくにも、国内の需要を喚起すべきです。
どこにお金を流すかなんて、景気が良い時は異臭も漂いそうなものですが、
この際、そんな事はどうでもよく、公共事業と名のつくものに、
赤字国債を発行してばらまけば良いのです。

大切なのは、人々が雇用を確保すること。
次に、その雇用が守られるようにシステム作りをしていくこと。
今のまま、政治家が無力を続けるようであれば、
需要は増す増す縮み、失業率が跳ね上がり、経済システムは崩壊していくでしょう。


時代には逆らって生きる事はできない・・
というのは、僕の根っこにある考えであります。
時代がこんなだから?と諦めて、時代のせいにしても何も始まらないのです。

今、生活を脅かされている人々は、考え、立ち上がるべきだと思います。
雇用を創出するのは、国の義務であるのですから、
義務を果たすため、需要を作るよう手を挙げるべきです。

おそらく、今のマスメディアは何ら力になってくれはしないでしょう。
連日のように、派遣問題の弊害を取り上げるテレビ局でありますが、
彼らこそが、派遣の温床のようなところではないですか。

制作会社にコンテンツを丸なげし、
自分たちは公共の電波というインフラの上にあぐらをかき暴利をむさぼっている。
広告宣伝費が削られれば、そのつけは全て制作会社に落ちてくるわけです。
彼らが制作会社を切ることに対し、何らの問題意識がないからこそ、
適当なコメントを再び公共の電波に乗せて無責任に流すことができるのです。


先ほど、映画「フラガール」を見ました。
この映画の背景と感想については、次の機会にしたいと思いますが・・
この映画を是非とも、生活を不安にしている多くの方々に見て頂き、
勇気をもらって頂きたいと思うのです。

60年代の激動期に、常磐ハワイアンセンターは何の象徴であったのか・・?
どこか今の世の中とかぶるものがあるような気がいたします。
映画「フラガール」は、単なるヒューマンドラマではありません。
時代の変革期を彼女たち自身が描く、血と汗と涙と「日本」の物語なのです。


何もできないと思えば、人間はそれまでであり・・
何かできると思ったときから、すべては始まります。

人間、弱音はいくらでも吐けるものです。
しかし、弱音は、自分を見つめ、明日への力に変えていかねばなりません。

○○が悪い!と言って、何かが変わるでしょうか?
悪い人のせいにして、悪い時代のせいにしても、何も変わりません。

大切な人と喧嘩をして、君が悪い!だから、謝れと言って何かが良くなるでしょうか?
それは、単なる感情論です。

大切な人であるのならば、自分も一緒に謝らなければなりません。
そして、次にどうしたら良いのか、どうしたら同じことが起こらないのかを
二人で考えなければなりません。

もし、相手が考える事を放棄するならば、自分だけでも強く考えなければなりません。
それが、大切なものを守るという発想であると思います。

他人のせいにして、自分が救われるのであればそんな簡単な事はありません。
他人のせいにするのは、自分が無力であるという事を認めることです。

自分が無力であるという事と、弱いという事は、別問題であります。
どんなに弱くても、現実を見つめる事ができるのであり、
どんなに弱くても、不幸を幸福に変える力だけは残しているはずであります。

だから、辛い時こそ、決して他人のせいにすべきではないのです。
他人のせいにすれば、自分の弱さが無力へと変わり、生きることを肯定できなくなるからです。
それに・・他人のせいにしても、誰も幸せになりはしないではないですか。

この寒い冬をどう乗り切るか思案している人、明日は我が身と不安を頂いている人・・
その痛みや悲しみを糧に、この社会を変えるきっかけになればと僕は思います。
何がおかしいのかを今こそ真剣に考えるべきです。

「悪い!悪い!悪い!」といった犯人探しのようなテレビの無責任の垂れ流しに耳を傾けず、
こんな世の中だからこそ、負けちゃいけないと立ち上げってほしいと思います。

そして大切な日本社会のために、僕には何ができるのだろう・・・
今一度、僕自身も考えてみたいと思います。

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言葉 | コメント:2 | トラックバック:0 |
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この記事のコメント

その通りですね。弱さと無力は違う。弱さを絆に連帯していけば、何かが変わる。

このまま黙っていてはいけないと思う。

僕は障害者として何ができるか。

当事者運動に僕は誘われています。

以前のほほんさんでやらせていただいたように。

それをすることです。

札幌市は福祉を切り捨てています。

フランスでは学生が立ち上がったように。

ネットの世論はどうなのかな?

僕はmixiなどの狭いコミニュティーしか
観ていないので、あほなマスコミがダメで
あれば

今インターネットで繋がることが希望なんですが。

ryo君はどう思いますか?
2008-12-31 Wed 11:40 | URL | トム #-[ 編集]
トムさん

あけましておめでとうございます。
お元気でしょうか?

ネットというコミュニティーは強い力を持っているのではないでしょうか。今は、どこからでもネットに接続できますし、普段つながる事が出来ない人とつながる事ができるのは、大きな力でもあると思います。

トムさんにこうしてお話ができるのも、ネットのおかげだと思います。

弱いものいじめして喜ぶ人間がいれば、弱さに甘えてしまって無力化する人間もいます。どちらも健全な社会にとっての問題です。このような厳しい風の中、それを見つめなおし、社会が新しい希望を作りだしていける事を祈っております。
2009-01-03 Sat 22:20 | URL | master #-[ 編集]

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