三歩進んで二歩下がる

日々感じた事の言葉日記です。

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夢の続き

「一度覚めてしまえば、夢の続きを見ようとも、自由に見れるわけではない。」


今年も早いもので残り1日となりました。
去年の今頃は何をしていたのでしょうか?
たしか、本を読み漁っていたように思います。

しばらくブログの更新が留まっておりました。
特別サボろうと思って更新をさぼっていたわけではないのですが・・・


今年の春に私も31になったわけですが、
特別変ったことと云ったら何もなく、むしろ実に平凡な日々を送った
というのが今年の雑感でありましょうか。

週5日、規則正しく働き、酒を飲み、
週末はぐうたらして、彼女とご飯を食べる。
会話をするといっても、それほど特別な会話をしているわけではない・・・
31になって初めてというのか?よくある生活をしたのです。

一人で物事を考える時間が少なくなったせいか、
自ら何かを感じることをしなくなった一年であったような気がします。
経済誌などは相変わらず読むのですが、小説を読まなくなりました。

結果、自分の事で考え悩む事をしなくなり・・・
何かを表現しようという動機がなくなりました。

無理にでも表現しようと思えばできるのでしょうが、
そんな自分がいるんだなぁと物珍しく感じたこともあって、
そんな自分をしばらく観察することにしたのです。


話が変わって今年の弁理士試験ですが、
最後の最後で落ちてしまいました。

4月辺りから勉強を始めて、7月に論文試験を受け、
9月に論文試験の合格を得ました。
10月まで口述試験のため一気に勉強し、11月に不合格を得ました。

全く余計な不合格でありました。
合格することが必然であると思っていた事から、
当初、落ちたことの意味もわからず、11月の仕事の忙しさに助けを借り、考えることを封印したのです。

そして今、改めて考えるのは、
来年もぼちぼちやって、ぼちぼち合格でもしようかといったところです。
今年受かっても、来年受かっても、おそらく自分の人生に大差はないのでしょう。
そう考えると、それはそれで良いのであり、
また今の自分の立ち位置が、ゆるりとした時間軸の中にあるのだという事に気づくのです。


そんな生活をしてい感じるのが
俗っぽく生きようとすると、実に俗っぽく生きることができるという事です。
結婚して、子供生んでしまえば猶更でしょう。

今、昔描いていた夢の続きを見ようにも見れるはずもないのですが・・
それでもまた、夢を見る時間は来るのだと思うのです。

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